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住職日記

平成24年3月26日(月) 富里安国寺 お祓い

前回に続き、親戚に呪われているというN女性が約束の2時過ぎに見えた。親戚のHに頭の中をくりぬいて半分くらい持って行かれてしまったしつきものがいっぱいついていると奇妙なことをいう。呪いのために昨日も仕事を休んだという。顔も10年前はこんな顔ではなかった。会社の同僚の人も顔が変わったといっているという。  10年もすれば顔は変わりますよ。ふっくらしたいい顔してるのに。第一そのHさんにあったのはいつですか。電話でもかかってくるんですか。 もう6,7年前になる、電話もかかってはこない。 ではなんであなたを呪っているのがわかるのですか。 人を呪うのでは有名でB大使館の人も知っている。本になっているほどです。
その本を見たいですね。
 お堂でお経、陀羅尼を唱え特製のお守りに切石をかけお祓いをした。あなたは被害妄想に取りつかれているのです、呪われていると勝手に思い込んでいるのです、呪われていると思うことが趣味みたいになっているだけです、何か健全な好きなことを趣味にしてください。このままの状態で人生終わっては面白くありません、呪いのことは忘れてたのしくいきてください、お祓いをしたから呪いも解けたしつきものも全部落ちたからもう心配いりませんよと言ってお守りを渡し終わりにしてお茶にした。

平成24年3月25日(日)船橋安国寺 葬儀

 船橋安国寺で昨日に引き続き、10時30分から石橋家の葬儀が行われた。

平成24年3月24日(土) 船橋安国寺 お通夜

 船橋安国寺で17時から石橋家通夜が行われた。

平成24年3月23日(金)富里安国寺 荒神様

 ずっと前から兄のお寺のお手伝いをしている.成田の高橋さんのうち、暮れ(12月)のお経、釜締めのお経ともいい、その時に台所にお祭りする荒神様という色紙で作ったご神体を持っていくのだが、今年は兄が回ったため兄は忘れてしまい今回のお彼岸経は私が回り、そのときに、荒神様をもらってないといわれてしまい、申し訳ありませんでしたと謝り2,3日のうちにうかがいますからといって帰り、荒神様を作り高橋家に行き拝んで渡してきた。荒神様は父の代から父はそのまた前の代から引き継いでいる。三宝荒神といって赤白黄色の三枚の色紙を重ねてはさみで切って折り曲げて作る。兄のお寺の檀家全部ではなく50件分である。この荒神様作るのが結構大変で熟練をようし私でなければうまく作れない、一体作るのに10分はかかる。荒神様の大きさは幅約17㎝、高さ12㎝である。

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平成24年3月22日(木) 仏教語 南無

 南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏等の南無である。この南無は古代インド語、サンスクリットnamasが中国に仏教が来た時に音写されて南無になった。南に無しと書くが南無自体に意味があるわけではなく発音だけである。namasのsは音写されるときとれてしまった。namasの意味は帰依、とか帰命の意味で篤く信ずるということである。であるから南無は篤く信ずるという意味で、南無妙法蓮華経は妙法蓮華経すなわちお釈迦様の説かれた法華経を篤く篤く信じますということであり南無阿弥陀仏は阿弥陀仏を篤く信じますということである。
 そのほかにも南無遍照金剛、南無三宝(危機に会い助けを求めるときに右手人差し指を左手で握り拝む格好で南無三と唱えるの時代劇の漫画などによく出てきていたものだが南無三宝の略である。)南無高祖日蓮大菩薩等があるが上と同じ式である。

平成24年3月21日(水) 小見川安国寺 葬儀

 昨夜に続き12時より小川家の葬儀が小見川虹のホールで取りこし初七日忌と四十九日忌も合わせて営まれた。子供たちが遠くまたは外国に住んでいるためなかなか来られないのでということである。
 葬儀が終わってから、法話みたいなのを少しした。初七日や四十九日忌はづっと昔から行われている。いまから千年くらい前、平安時代に紫式部という女性によって書かれた源氏物語を読んだことがありますが、全部で54章あります。大変長い物語で読むのに3か月もかかりました。その中には七日七日のお参りという言葉が五か所、四十九日忌の法要が五回、一周忌が十回もでてくる、昔から死者が出ると、その家族は七日毎に、七日というのは毎にでは大変だし二日でも大変だし結局七日くらいにお参りするのがちょうどよい。それを七回繰り返す頃四十九日にはなみだもかわくであろうということである。この七日七日には家族であるいは一人で四十九日には打ち上げみたいに仕事を休んで葬儀に来てくれた人たちをよんでお参りしたのであろう。
 ではこの七日のお参りや四十九日のお参りはどこから来たかといえば中国である。日本にいる中国人に聞いてみたら、いまでも四十九日やお正月には先祖のお墓のお参りをするといっていた。中国の前はどこかといえばインドである。インドでのお墓参りは四十九日忌がある、ここでも死者にたいする儀礼は手厚く行われている。そしてそれが中国やヨーロッパに伝わり一週間の始まりになったように思えます。すなわち現今の一週間は死者を弔うことから来たと勝手ではあるが思うのです。
 今日はその七日、七日のお参りを四十九日まで皆さんと一緒に済ませました。ごくろうさまでしたと言って退く堂した。

平成24年3月20日(火) 船橋別院 葬儀

 昨日に続き二宮家の葬儀が船橋別院で10時45分から行われた。3月16日23時50分ごろ、もう寝ていたのだが電話が何回かなり目が覚めた。小見川安国寺檀家の小川さんが事故で亡くなったとの連絡だった。寝ぼけていたせいかなんだかよくわからなかったが、ビニールハウスのなかで耕運機を運転し耕運機に挟まれたとのこと、まだ67歳だった。隣町から婿さんに来た大人しくまじめな婿さんだった。今日20日14時から荼毘に付され17時よりお通夜が営まれた。
 

平成24年3月19日(月) 船橋別院 お通夜

 18時より二宮家のお通夜が行われた。

平成24年3月18日(日) 船橋別院 葬儀 通夜

 時田家昨夜の通夜に続き13時30分より葬儀
 富里安国寺本堂では坂本家49日忌、4月にお墓が完成するということでお骨位牌写真を安置し供養をする。  

平成24年3月17日(土) 春彼岸

 今日は春彼岸の入り日である。彼岸のお中日を挟んで前後3日すなわち7日間が彼岸の期間となる。仏教は中道思想がありそれと1日の長さが昼と夜で同じということからこの中道思想とが結びつき寺院の行事に組み込まれるようになった。お寺では信者を集めてお経の話をしたり経文をとなえたり、加持祈祷をした。彼岸は、此岸に対する言葉である。此岸すなわちこちらの岸は煩悩だらけの世界、この迷いおおき世から修行により悩みも煩悩もない極楽の地、あちらの世界すなわち彼(か)の岸に至ることが望まれたわけである。いつの時代でもどこでも自分のいるところはよくなくよそはよく見えるのである。はるかかなたの夕日がきれいに沈むガンジス河のようにとてつもなく大きな川の向こう岸には極楽浄土があると考えたのである。
 彼岸の行事は飛鳥時代に聖徳太子の時代にさかのぼるとされる。聖徳太子は仏教を愛したが一族は争いが絶えなかった。彼岸が聖徳太子の時代に始まるとするなら聖徳太子はこの煩わしい世から、争いなどない平和な理想の世界彼岸にいきたく祈ったであろう。
 彼岸は江戸時代にようやく民衆のあいだの年中行事化しお寺参りやお墓詣りが行われるようになった。
 

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